人間とは何か―その本質は言葉である
――言葉、アイデア、イデオロギーが世界を変える――
言語・観念・思想の力で人間と社会の変革をめざそう東西思想を超えて人類の哲学を創造しよう!
by the Life-wordsTheory to our Reserch for HUMANBEING
Human Being Institute
人間存在研究所
生命が言葉を獲得し、人間が出現したことの意味と
現代文明の閉塞状況をどのように克服するかを考える
――生命と人間の存在は、西洋的因果を超える縁起主義によってはじめて明らかになる。――
──人間は言葉によって自らと世界を意味づけ合理化する存在である。──
それは生命の生存様式、人間の生き方そのものに関わるものである。つまり、生命にとって生きるとは、、その欲求を満たすために、様々の問題を見いだし、解決していくことであり、人間は、そのための情報を、言語によって思考し、伝達し、記憶し、創造的に文明を築いてきたのである。
人間とは言葉を獲得した生命です。人間は、その言葉を用いて自己と世界を創造的に記号化し、真偽・善悪・正邪・損得を選択・判断し、人生を意味づけ合理化しながら生きているのです。
人間にとって言葉とは何か、人間が社会に主体的に関わる条件とは何か、今日の時代の閉塞状況は、西洋思想の限界に由来するのではないのか、われわれの子孫に、生命のための美しい地球を残すにはどうすればよいか、今,哲学の存在意義が問われています。時代はイデオロギーの終焉から、新しいイデオロギー(理念)の創造へ
原始以来、人間は言語によって神・仏と永遠を創り、生きることの苦痛や不安から自らを救済しようとしてきました。そして、今や人間は、人間の被造物としての神・仏に依存するだけでなく、人間存在の真実に目覚めて、現世における永続的幸福を実現することができるようになりました。
あなたは、人間と人間の創造した文明(思想・芸術・宗教・政治・経済・科学技術など)についてどのような疑問や関心をもっていますか。われわれは次のような哲学上の問題についての解答を用意しています。
↓クリックして下さい↓↓
詳細な内容は次の著作を参照してください。内容目次はこちらです。大江矩夫 著 白川書院刊行
『人間存在論─言語論の革新と西洋思想批判(前後編)』
<前編では上記の1~5と9、後編では4~7.10について論述しています>
人間は、地上の生命の最高の生存形態だから、人間を規定する言語は、生命の生存様式の本質から解明しなければならない。その理論こそ生命言語理論である。それ以外の言語理論はすべて泡沫のごときものである。
新しい人間とその社会( new Global Standard )の創造は西洋近代知の批判とその克服から始まります東西思想を超えて、人類の哲学を創造しよう!
今日の地球世界には階級闘争や民族主義、さらに独占的利益を得るために、ことさら排他的な対立を煽って問題を解決できる余裕はありません。人権と民主主義道徳にもとづく新しい契約が、日本と世界の人民の持続的幸福を築きます。いつも心に一つの地球と世界を持ち、多様な生活と文化に親しもう。
We'll always enjoy various lifes and cultures with one earth and world in a heart.(One Earth and World, Various Lifes and Cultures)
無明(無知)こそ最大の汚れであり、明知は創造と覚醒の力である。
自己自身の生命価値を知り、限りなき前進と心の安らぎをめざせ。
フランス人権宣言第1条の「人間は自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。」というのは正しくない。
権利(正義)は人間の本性から生じた言語的構想力の産物であり、自由と平等は幸福に生存するために、人間が発明した社会的観念(知識)である。人間はこれらの知的価値を、与えられたものとしてでなく、実現すべきものとして創造的革新的に生成し発展させなければならない。
ご意見をお寄せください──────mail:ohe
人間とはどのような存在なのか。現代社会の混迷を克服するには、まず人間を成り立たせている、ものの見方考え方についての共通理解が必要です。人間の本質である生命と言語の理解を深めること、それによって西洋合理主義の限界を乗り越えること、それが本書のねらいです。
人間とは何か──本書の「生命言語理論」はこの問いに答え、さらに西洋合理思想の根源とその限界を解明して、地球社会に生きる人間の新たなものの見方・考え方や生き方を提案します。光は東方から──東洋思想の底流に潜む生命永遠の思想が無益な争いと頽廃から人間を救います。
後編帯
通販注文は (楽天) (紀伊国屋)(amazon)直接注文は、─────mail:ohe まで(著者署名入り)
人間存在とは何か?──人間は生命が言語を獲得した存在です。生命は個体と種の維持を目指し、言語は意思の伝達と情報処理、存在の位置づけの手段となります。人間は、言語によって世界を再構成・創造し,社会的つながりを拡大し,科学を駆使して自然を利用し人間の福祉と民主主義を構築してきました。しかし、今日人類文明は次の時代への曲がり角に来ています。「生命言 語理論」は人間知識の再編と地球社会の新たな方向性を示すことになります。
■本書の依拠する「生命言語理論(LWT)」は、20世紀以前のすべての価値観――宗教・哲学・道徳 ・芸術・学問・政治・経済等についてのものの見方や考え方の変革を迫ります。現代の科学技術(物質)文明は西洋的思考様式によって確立されたものですが、最早その行き詰まりは誰の目にも明らかです。本書を読まずに人間のあるベき姿と人類の未来を語ることはできません。
■人間は欲望の塊であり、感情の動物です。しかし言葉が人間を理性的動物にします。ただ理性が徳と正義を見いだすとは限らず、利己と独善を強化する場合がほとんどです。人間の徳と正義は、隣人への慈悲の感情と連帯の意志によって育成されます。検証可能な科学的知識による旧来の道徳の再建と創造が我々の課題となります。
■本書は、専門化し細分化した人間についての知識を、「生命言語論」の立場から体系化し、悠久の未来に向けての人間の生き方と社会の在り方を提言します。日本文化は西洋思想の限界を克服することによって、初めて普遍的な世界の文化に貢献できます。
■希望の日本文化と普遍性
個人の正義、家族の正義、集団の正義、国家の正義、国際の正義、また仏教の正義、ユダヤ教の正義、キリスト教の正義、イスラームの正義資本主義の正義、社会主義の正義、民主主義の正義等々、正義は、自らの利害の立場を正当化・合理化する言葉・理論である。正義(利害)の多様性や対立は、生命と人間の普遍性の理解によって、はじめて平和的・永久的に解決が可能である。
今までの正義論は、すべて特定の旧くて狭い立場や利害にとらわれ歪められた理論であった。これからの生命と人間の普遍的な正義の立場は人間存在を規定する
生命と言語の根源的な理解から始まる。 そして、これからの社会正義と万民の幸福の実現は、「生命言語説」に基づく新しい社会契約によって可能となる。
共通のものを
君とぼくと――
そこには、いろいろのちがいもあるが
しかしそれは、へだたりではない
われわれは
小さなことでは、ちがっているが
大きなことでは、みんなおなじだ
ヨハンネス・ベッヒャー(ドイツの詩人)
苟正其身矣、於從政乎何有、不能正其身、如正人何。(苟しくもその身を正しくせば、政に従うに於いて何か有らん。その身を正しくすること能わずば、人を正しくすること如何せん) 孔子
人間は、地上の生命の最高の生存形態だから、人間を規定する言語は、生命の生存様式の本質から解明しなければならないその理論こそ「生命言語理論」である。これ以外の言語理論はすべて泡沫のごときものである。
「生命言語理論」の構造はシンプルである。それは、言語は生命の適応的生存のために進化したものであり、生命が自然と社会環境に対して、適応的に認識・行動するために獲得した生存様式である、という理論である。人間は、欲求や興味関心に従って、自然と社会環境の状態を、何が(what)どのように(how)存在するか(認識して)音声信号(言語=主語+述語)化し、それらを再構成(判断・思考)して、自己の欲求と感情に基づいた観念的世界(知識)をつくり、それらに従って世界を合理化(意味づけ)しながら行動する存在である。
それゆえ、言語についての理解は、自己のものの見方や生き方(知識)についての反省を迫り、既成の知識の相対化をもたらす。今日までの宗教的・哲学的・科学的なすべての知識は、「生命言語理論」によって見直されなければならない。
『人間存在論』は、そのような人間存在の根源的問題意識に従って、言語論を革新し、現代文明の基盤をなしている西洋的思考様式を再検討し、新たなものの見方考え方を提唱して、人類の直面する問題状況を打開しようとするものである人類の歴史によって育まれた多様な伝統的文化や生き方は、人類共通の本質的普遍的知識によって改変され発展されなければならない。地球上の生命と人類の持続的共生は、「生命言語理論」の正しい理解によってはじめて可能となる。
★生命は、無限無常の複雑な自然環境(刺激情報)の中に、安全(安心)で単純明解な生存の結論・反応を求めます。人間の言語はそれらを再構成し肥大化させる認識装置となっています。ギリシャを起点とする西洋の認識・思考様式は、世界への合理的解釈によって科学的認識を確立しましたが、その反面では、人間の無意識的な欲求や感情を、自然法や神々の意志に従う理性やロゴス(言語的認識・意識)の支配下に置こうとしました。しかし、フロイトの精神分析によって抑圧から解放された無意識(欲求や感情の世界)は、今日では西洋で誕生した理性やロゴスを利用し、自然環境と人間の築いた文明自体を破壊しようとしています。
「言語を獲得した生命」である人間には、言語(的認識)によって地球上に誕生した生命と人間の存在意義を理解し、永続的生存への取組を強めるという責務があります。無意識的な欲求と感情にまかせて、生命の故郷地球と人間の築いた文明を破壊する行動を抑制し、平和共存と互助互恵にもとづき、万民の永続的幸福を実現する新たな文明社会を築く必要があります。そのために、人間存在研究所では、まずは「汝自身を知れ」の格言から、「人間の本質は言語である」ことを自覚するべきであると提案します。
参照⇒ 言語論 西洋思想批判 神と科学の両立とは?
「生命言語理論」についての生成AI_Google Geminiの要約とコメント (以下にその一部を掲載)
5. 生命言語理論と他の言語理論との比較
生命言語理論と、特にノーム・チョムスキーの生成文法 およびB.F.スキナーの行動主義 など、他の著名で影響力のある言語理論との比較分析を行います。
生命言語理論の枠組みの中で、他の言語理論に対して向けられている明示的かつ強力な批判を強調します。生命言語説が、代替理論を根本的に欠陥があり、最終的には重要ではないと見なしているという大胆な主張を強調し、「泡沫のごときもの」(like bubbles)という比喩を使用します 。この否定的な立場は、この理論の革命的な願望を強調しています。
言語と生命および生存の基本的な生物学的必要性との間の本質的かつ不可分なつながりという生命言語理論の中心的な焦点と、チョムスキーの生得的な文法構造と、すべての人間言語の根底にある普遍文法の概念との間の明確な対比を示します 。チョムスキーも言語の生物学的基盤を提唱していますが、生命言語理論は、単に文法的な普遍性に焦点を当てるのではなく、生命の適応メカニズムとのより広範なつながりを強調しているようです。
[掲載者注:生命言語理論の主張する「生命の適応メカニズム」は、すべての現存生命がそれぞれの生存環境に適応しており、多様な環境に応じて生命も多様に進化する能力(適応多様化能力)を言います。生命は、個体と種の存続を目的として、内的恒常性の維持と、そのための刺激反応性(刺激適応性、生化学反応性)、及び環境にたいする動物の生存欲求<食欲、性欲、安全欲等>を実現するために情動的判断<快・不快、意志>による行動基準を適応メカニズムとして含みます。生存欲求を実現するため、高等動物になるほど環境にたいする認識(知覚)と行動の統合化を図り、適応度を高めるのが神経系(脳)の発達です。
人間の言語は、動物の対象(刺激)認知と集団生活における認知情報の交換を音声記号によって獲得したものですが、その言語記号化の原理は、刺激対象の特定化(名詞・何が・what)と、その状態や判断(動詞・形容詞、どのように・how)、そして対象間の関係性(目的語・助詞前置詞)をいかに的確に合理的に表現できるかいうことです。この原理は、認識における因果性の追求であり、5W1Hのような疑問の解明として人間以外の動物にも備わる生物的起源をもちます。ただし、類人猿のように人間相当の知恵(洞察力)を持っていても、言語のような抽象的な脳内思考と表現能力をもたないために、チンパンジーでは対象情景が面前した直示的状態でなければ疑問(問題)解決には至れません。
チョムスキーでは、言語構造を音韻論、形態論、統語論として把えますが、これはデカルト流の西洋的偏見に基づいたもので、正しい生物学的・認知行動論的科学によれば、言語構造は「動物の疑問解決様式の音声記号化」を起源とすると見るべきでしょう。既存の生成AIでは理解不能でしょうが、詳しくは本研究所のネット情報「5.言語とは何か」を精読していただきたいと思います。]
同様に、条件付け、強化、環境刺激のプロセスを通して獲得される学習行動として言語を見るスキナーの行動主義的視点と生命言語理論との明確な対比を描きます 。存在の「本質」としての言語の生得的かつ根本的な性質[掲載者引用;好奇・認知・表現欲求]という生命言語理論の強調は、主に外的要因によって形作られるものとしての言語の行動主義的見解と直接的に対立しています。
さらに、生命言語理論に内在する西洋哲学思想のより広範な批判に注目します 。これは、この理論が言語の新しい理解を提供するだけでなく、言語学的思考に影響を与えてきた伝統的な西洋知的枠組み内の認識された限界と偏見を克服しようとしていることを示唆しています。
[掲載者注;「限界と偏見の克服」とは、神または自然法による所与のロゴスとしての言語でなく、高等動物としての主体が獲得した疑問what,how,why etcの解明手段としての言語という理解が必要という意味です。]
このぺ-ジの先頭へ